不快感で満ち溢れている

フィクションかもしれません

パパ

いつもちゃっかりしている父が、私の誕生日にはなんの連絡もくれなかった。

おめでとうの一言を言えばいいと思っているような人だ。

プレゼントなんてまともに貰った覚えはないし、でも必ず一声だけ連絡を入れる手際良さ。

父娘といえど上っ面で、私もそんな父をすっかり受け入れ、慣れていた。

父が亡くなったのは私の誕生日の翌日だった。

闘病の末、他の病気を併発したという。

何も知らなかった。

何も教えてくれなかった。

身体が悪いとは聞いていたけれど、東京の病院に入院するなら見舞いに行くねと話していたけれど、あの人のどこが悪いのかなんて絶対に教えてくれなかった。

 

父はいわゆる「お父さん」なんかじゃない。

小さい頃は毎晩派手な父の友人が家に来て、うるさい夜が続いていたのを思い出す。

部屋に閉じこもってる幼稚園生の私を力づくで引っ張り出し、かと思えば母と肩を組んでジャズのデュエットを始めるし、私はいつも支離滅裂なその様にうんざりしていた。

湘南育ち、サーフィンに明け暮れ、学生時代の写真は女性に囲まれたものばかり。

やたら友達が多くて、家族でサイパンに行ったときはプールサイドで1日一緒に過ごしていたはずなのに、いつの間にか父が仲良くなった現地の人を10人ほど呼んで豪勢なディナーをしたこともあった。

往生際が悪いことが嫌いで、敬意のない人に出会うと、いくら知らない人間であろうと、どんなに周りに人が居ようと、声を上げて咎める。

あの人の思考に誰もが手を負えなくて、みんな放ったらかしにしていた。

 

私は頭でっかちでネチネチした人間だったから、そういう爆発的な父親としょっちゅうぶつかっていた。

派手な立ち回りをする父と一緒にいることが恥ずかしくて拗ねると、どこであろうが怒るし、それに対して私は泣いてしまうし、泣くことが嫌いな父はさらに私に怒鳴る。

そんな繰り返しで、外出することが家族みんなの試練みたいな時期もあった。

姉は父に似つかずおおらかで優しくて、そんな娘をあの人は大事に、大事にしていた。

「おい、」と呼ぶのはいつも姉で、私は自分の身をどこに置いたら良いのだろうかと悩んだ。

中高に入ってからは部活動を理由に、父と出かけるのを避けていた。

たまにしか帰ってこれない父だからと母に諭され、しぶしぶ赴くものの、私の話は聞いてるふりして次へと流れる。

「ゆきもいい加減、大人になれ」と言われた日から1年近く会うのを辞めてしまった。

 父がいてもいなくても変わらない毎日が続いていたし、特別父が恋しいと思うこともなかった。

年げつを重ねるにつれ、父への恥ずかしさも薄れてしまったし、父がどんなに激しい人間かさえ忘れていた。

 

大学に入ってからすぐの冬、私の一部だった祖母が亡くなった。

父は母の「母」という存在でありながら、誰にも変わらず、相変わらずの当たり方をしていたけれど、祖母は不思議と父が大好きだった。

「手に負えないけど、いい人よね」と母にいつも言っていたという。

祖母が亡くなって1週間、久しぶりに4人揃って串カツ屋に行った。

初めて父が泣いたのを見た。

笑いながら、息を詰まらせながら「お世話になったなぁ」と泣いていた。

それを見て私たちは「え〜!」と大笑いして、一緒に泣いて、お酒を飲んだ。

翌年の夏、姉が留学するから、記念に4人で久しぶりに旅行をした。

あんなに傲慢な運転をしていた父が、時速30キロでレンタカーを走らせる姿に母と二人で「老いたな」と笑ってしまった。

怒られると思いきや「優しくしてくれよ」と言う姿が可愛かった。

その日の湘南は異常に蒸し暑かったのだが、案の定、夜になって大雨が降ってきた。

部屋から見ていた花火も途中で終わってしまったのに、父は外の椅子に座って、湿気た雨に打たれていた。

「ゆき!気持ちいいぞ!」と叫ばれ、二人してビショビショのバルコニーの中、無言で座り続けた。

翌朝、激しくなってきた台風のせいで早く帰らなければいけなくなった。

4人で列車に乗るはずが、父は車を返すからお前らは先に帰れ、と一人グショグショの道端に残っていった。

せっかくの旅行の終わり方がこんなのなんて、と寂しかったが、母は「パパらしくていいじゃない」とにこやかだった。

 

姉がいなくなってからは私たち二人で出かけることが増えた。

場所はいつも下北沢のイタリアン。

何を話せばいいのか分からなくて、最初は質問リストを頭の中に作ったりして行った。

好きな言葉は「とりあえず信じる」、好きな音楽はジャズ一択。

私のバイトの話とか、最近の天気は過ごしやすくていいとか、会話の正解がわからなくて、くだらないことを喋り続けた。

その時は以前と変わってえらく笑ってくれて、「ゆきも大人になったね」と何回もつぶやいていた。

 

父がいまだに「父」であったという感覚がわかない。

毎日、意味のわからないお花の画像を送ってくれるけど、それだけで父だとは思わなかったし、電話で「パパは大好きだぞ!」と言われても「はーい、ゆきも」と流していた。

あの人は父親であるのに、私たち家族に病気について伝えなかった。

きっと姉が日本を出づらくなるだろうから、私が感情的になって騒ぐから、あの人のことだからあれこれ一人で勝手に考えていたんだろう。

父を「父」として見たのは初めて授業参観に来てくれたときだ。

ポロシャツにジーンズの父が、その日はえらくパリパリの縦シマの入ったスーツを着て、濃い藍色のネクタイにピンまで付けてた。

髪まできっちりジェルで整えて、教室中が誰だとざわつき、父がかっこよくて私は飛び付いて行った。

「お前は声がでかくていいな!」とハイタッチをしてくれた。

父親を父親だと感じたことはほとんどないけれど、私の中の父親は、この時の姿のままだ。

最後まで知らないことが多かったし、教えて欲しいことも教えてくれなかった。

父親のくせに、本当のあの人について分からなかった。

「父親」っぽい何かで繋がっていただけで終わってしまった。

生きている間、もっと深く関わることはできたかと言われれば、できなかった。

なんで教えてくれなかったんだろう。私たちはあの人にとってなんだったんだろう。

言わないことがもしかしたら、パパの父らしさだったのかと思うと、悔しくて、ふざけんなと叫んでやりたくなる。

おんなが、ふたり

あなたと関係を持っているという女性と先ほどばったり会ってしまいました。一番恐れていたことです。あの強情なあなたが叶わない女性、わたしは怖くて悔しくて、ずっと怯えてきたのです。声をかけてくださった時、わたしは目を丸くさせ、眉毛は不気味なほど縦に上がっていたと思います。その怯えた一瞬を、何も知らない彼女に伝わって欲しくなかったので、急いで口元をぎゅっと上にあげ、言葉は見つからず、ただひたすらに彼女の名前と「お久しぶり」を繰り返していました。彼女はわたしが記憶していたよりも小柄で、鼻は丸く、目が潤んでおりました。凛とした、やはりお綺麗な方です。今なにをしているのか、今日はどうしてここにいるのか。彼女の柔らかい声を聞くうちに、わたしの頭の中は彼女と過ごした短い思い出でいっぱいになりました。不思議なもので、あなたのことなんかどうでもよく思いました。あなたの横にこの女性がいると想像しても、常に胸の奥に転がっていた硬い岩石のような感情は生まれませんでした。数週間前に起きたあなたとの思い出も甘いものに感じませんでした。わたしは彼女と違うのです。わたしが彼女になれないように、彼女もわたしにはなれません。あなたは天秤にかけたかもしれないけれど、私たちは違う土壌にいる人間だと、あの数分でわたしははっきりと気付きました。どうぞお好きなようにしてください。今のわたしからは彼女を羨む気持ちは消えました。あなた方をわざとらしく敬う気もさらさらございません。なぜなら私と彼女は別の生き物だからです。あなたに追いかけてもらいたくて買ったお洋服も、わたしには必要なさそうです。あなたの中に映るわたしは、もうあなたが欲しいわたしじゃないのです。

23時半から24時迄の事

その生き物の頬は、秋の乾ききった夜風に晒され続けた結果、表皮が白く細かな凹凸をなしていた。骨ばった肩に比べて腰回りはしなやかで、シャツの下に隠れた呼吸器官は激しく膨らみ、また萎みを繰り返している。生き物の伸びた固い五本の指は私の後ろポケットでもぞもぞと動いている。私は大きく重たい生き物を全身で受け止めながら、動脈近くの首元を齧ったりしてみる。それが気味が悪かったのか、口元からのそりと離れ、私の肩に自らの首を巻きつくようになだれさせた。「潰れてしまうほど強く抱いてください。」力の抜けた腕から筋肉がむくりと沸き起こり、わたしの肋骨を締め付ける。その数秒のあいだに、生き物の厚い皮膚に隠れた鼓動がドクンとわたしの胸に刺さった。生きてる。わたしたちは生きている。この生き物が今夜ここまでどう生きてきたのかなんて知らないけれど、あなたのこれまでの命はわたしの腕の中に収まっている。あなたが生きてきたことをわたしは抱きしめている。これからを求めてなんかいない。ただ命があることを慰め合うように、どうしようもない行く末を見ないように、互いの背中にしがみついている。

家を磨く

今日も丸一日お家にいました。蝉の騒がしさで目が覚め、昼食はロールパン4口程。テレビを点けると再来年のこの国について、安っぽいスーツを着たおじさんおばさんが、薄っぺらい言葉をズラズラと勝手に喋っておりました。真剣な面持ちで意見を述べたかと思えば、次の瞬間には犬猫の動画を見て笑い声が溢れかえる。一分もしない間にコロコロと空気が変わっていく頭の悪さに、私はブツンと電源を叩きました。洗面所に行くと湿った洗濯物が積まれています。きっと母が急いで回したものです。濡れた衣服から漂うのは鼻を刺すようなキツい水っけでした。これまでなら「なんで私ばかり」と愚痴を吐き捨て、嫌に足音を大きく立て、ベランダに持って行きますが、今の私は違います。「仕方ない」とも思いません。これが今の私の仕事なのです。強すぎる日差しに嫌な顔ひとつ向けません。私の仕事はこの家を綺麗にするだけです。昨日も同じことをしたのに、床には大量の髪の毛が落ちています。私はそれを「なぜだ」と感じることはありません。一本も残さぬよう、角の角まで丁寧に吸い取りました。ついでに汚れてきた机や壁も、重曹水を使い、念入りに拭き上げました。くたびれた家族が帰ってきても、今朝より美しくなった家に気付く者はおりません。それでも私は、毎日、この家を磨いています。ちょっとでも綺麗にすれば、少しずつ良いことが起きるかもしれない。そんな根もない呪いに期待を寄せています。毎日、丹念にこの家と向き合えば、同じくらい私を受け入れてくれるものが現れるかもしれない。空っぽでおぞましい希望かもしれません。もしかしたら、誰も、何も私に気づかないかもしれない。恐ろしい気持ちもございます。それでも私は、このくすんだ家から抜け出すいつかを求めて、今はただ磨くのです。

生きもの

「これはどうしたらいいですか」自分の考えで足りるようなつまらない質問で、あなたとの会話を始める。あなたは相変わらずのムスッと結んだ口と尖った眼で私を一瞥する。ああ、面倒くさいと思われた。その冷たくて硬い一瞬で、わたしの心はこの床を突き抜け、地の底まで落ちてしまうんだ。「こうしてください」と口先で足りることを、私の左側にジワリと寄り添い、あなたは声を使わず、指先で教えてくれる。私が一番欲しい答えをあなたは最初から分かっている。声をかけてからたった数秒で、私は谷底に転げ落ち、深い切り傷を残したかと思えば、山のてっぺんに登りつめ、肺を震わせ瑞々しい酸素を味わうこともできる。左側からジワリと伝わる生温かさを逃したくない。些細な欲望が私の人差し指に伝わり、指はあなたの手の甲に乗っかった。「まだ早い」とあなたの手はゆっくりと、撫でるように私の指から離れていく。しくった。もう触れられないかもしれない。失敗した私の指は、戸惑いを隠すようにゆっくりと違う場所に置かれる。こうなることを分かっていて、この場所に連れ込んだかのように、今度はあなたから手首の裏を重ねてきた。トカゲの腹ように冷たく、滑らかだった。それは人間の形をした生き物だった。わたしはこの生き物に捕らえられた虫だ。虫はあくまで冷静に、自分の命を守るため、その罠からさらに遠くへ逃げた。生き物はあっさり、追いかけてこなかった。どうせ死ぬんなら、あのまま食われるのがよかった。あのままペロリと呑み込まれてしまいたかった。こうして虫はもう何日も、生き物の罠に、自ら足をかける暮らしをしている。生き物が本当に殺してくれるかも分からないのに。

二次会

グラスが積まれたテーブルの向こうの顔が赤く膨れたみんなに、わたしを食べてもらう。長らく漬け込んでいた、ほんとうの私をザクッと切り取って、食べてもらう。こんな辱め、だれが好んでくれようか。お酒につられて、荒く盛り付けたわたしの一部を、みんなが大口を開けてパクパク食べてくれた。おまけに「美味い」とまで言ってくれた。わたしの奥で保存していた断片はみんなの中に消えちゃったけど、わたしはいま、とても気持ちがいい。

カラダを解放した夜

2週間前から不眠症に悩まされていた私は、病院の先生に「身体にエネルギーが溜まっているからでは」と思わぬ診断を受けました。確かに、終始動いていないと居心地悪く感じていた私が、最近は家から出るのも珍しいほど、ゆったりした生活を送っていたような気がします。そこで内側に有り余ったエネルギーを発散するため、半日、ちょっとした旅に出ることにしました。
その旅は金曜夕方のジムから始まりました。久しぶりに筋肉の隅々まで意識し、最初はきつかったのですが、次第に高校以来閉まっていたスポ根魂に火がつき、気付けば5時間身体を動かし続けていました。夜風に当たりながらストレッチをしていると、急に視界がハッキリと澄んで、ビルの明かりがギラギラと眩しく見えたのを覚えています。備え付けの岩盤浴で更に汗を流し、ジムを出た時には完全に身体が違うものへと変わった感覚がしました。
その名の通り、身体が「覚醒」した私は、軽くなった足取りで好きなアーティストが出演するライブへ向かいました。1人で行ったので後方からこっそり音に揺られるつもりでしたが、身体をもっと使いたい、という欲に負け、気付けばスピーカーの目の前に居ました。エレクトロの重圧が骨や内臓の奥を震わせ、自分の身体の存在を実感できたことにものすごく興奮しました。ビートに合わせて激しくぶつかってくる他人のジメジメとした身体が心地よく感じたほどです。
この高揚感を引きずったまま家に帰るのも惜しくなり、その後は思いつきで近くのクラブへ向かいました。不気味なハウスミュージックが流れ、人の残像しか分からないほど濃いスモークと、何色もの過剰なレーザーが、私の感覚を完全にトリップさせました。スーツ姿の女性がヒールを投げ捨て、両手を広げ、天を仰ぐように踊っていたり、ドレッドヘアーの男性が異常な身体の動かし方をしていたり、それまで見た事の無い鮮烈な光景にきっと私の顔はニヤニヤしていたのだと思います。近くに居た外国人が私を見て「ダンス!」と叫び、彼に引っ張られ私は身真似で踊り始めました。混沌としたあの空気の一部になったことに快感を覚え、次第に彼の存在も忘れてしまうほど踊り狂ってしまいました。
朝5時の渋谷は朝まで飲んで、くたびれた人たちで溢れていましたが、私は初夏の太陽の日差しを愛おしく思うほど、身体の底からみなぎってくる清々しさを味わいました。帰宅すると久しぶりに布団でゆっくり深く眠ることもできました。今でもあの夜は本当にあったのかと、まるで幻覚のような半日でしたが、詰まっていたカラダのネジを外し、新しく身体を組み立て直すことができた夜に、生きる嬉しさを噛みしめることができたのです。